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2009年05月27日
【心】人はなぜささいな事実にも傷つくのか?
書籍「自分に気づく心理学 著者:加藤諦三」より引用。
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事実というのは、人によって全くその重みが違う。この一点を理解することで人間関係の私的なトラブルはどれだけ避けられるか分からない。
たとえば夫婦で、恋人同士で、いろいろないさかいをおこす。そしてお互いに相手がなんでそんなに怒ったのか理解できないでいることが多い。
そのうちお互いに疲れてくる。相手を理解しようという気持ちも、理解してもらおうという気持ちもなくなってくる。そして、長いいさかいごとのあとで、お互いがお互いの気持ちのなかに閉じこもってしまう。
「この机なんだか少しガタガタしてるわね」「このお皿小さすぎる」「この車、色がどぎつすぎる」「あの車の方が大きい」「この手続きめんどくさい」「あの人の声が大きい」「この家道路に近い」「陽あたりが悪い」・・・なんでもよい、どんなちいさな事実でもよい。とにかくなんでもない日常生活のさまざまな事実は、人によってまったく重さが違う。
それはある人にとって、どうでもいいことであるが、別の人にとっては自分の神経症的自尊心をひどく傷つけるものでもある。
<中略>
事実はその人の価値観を通してその人の心に達する。同じ事実はお互いの心に達した時、全く異なって感じられるのである。
<中略>
神経症的な自尊心の持ち主は、傷ついた時、次のようなことに注意すべきなのである。自分を傷つけた言葉、あるいは事実があるが、それは相手にとって、全くどうでもいいことであるからこそ、述べられたのだということである。
「相手はなぜそのことを言ったか?」「それはその事実が相手にとっては、ささいなことだからである」「そうであるなら、そのことで傷つくのは、自分の問題である」
このようなことを絶えず自分の心の中で会話してみることである。
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ここで述べられたことは、日常生活でよくあるすれ違い的なことですが、誰にでも経験のあることだと思います。自分が言った何気ない一言で相手を傷つけたり、怒らせたりしてしまった、またはその逆。
一つの事実をとってみても、それがどれだけ心の中での重さなり広さなりをもってくるかは、その人が持っている価値観によって変わってくるわけです。
そういうささいなことで、夫婦関係や恋人関係が損なわれるようなことになるのは虚しいものだと思います。価値観の違いということを念頭においておけば、「無用に傷つくこと」も「無用に争うこと」も避けられることが多いかもしれません。
--- [参考書籍] ---
自分に気づく心理学―幸せになれる人・なれない人 (PHP文庫)
加藤 諦三
投稿者 zunichi : 2009年05月27日 00:47
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